2026年06月30日
今年に入ってからのAI技術の伸展は著しいものがあります。
昨年までは、よく「AIが仕事を奪うのではない。AIに精通した人間が仕事を奪うのだ。」と言われていましたが、
今では、「AIが仕事を奪う。」という言い方の方が正確な言い回しに思えてくるほどです。
日本社会全体・日本経済全体にとっては、AIの伸展は望ましいといえます。
現在の日本社会の最大のと言って良い課題は、労働力不足です。
AIの伸展により、従来、人間が行っていた業務がAIによって代替されることは、
現在既に直面し、これからますます深刻化する労働力不足の解決の大きな力となることが期待されます。
しかし、一方で、AI技術の伸展は、別の側面も持ちます。
AIの伸展は日本社会全体にとっては良いものといえますが、果たして、一人ひとりの個人にとってはどうでしょうか。
AIが発展した時代は、単純作業のみならず、相当高度な業務までAIが代替する時代になります。
その中で、一人ひとりの働く個人に求められる役割はどのようなものになるでしょうか。
「人間力」と言ってしまえば、あまりに茫漠で抽象的ですが、
要するに、AIが各人の事務的な作業能力・業務能力を大きく標準化していく中で、
その人でなければならないといえる何か、その人特有の強みを持てるかが重要となってくると思います。
また、AI時代は、AIにより直ちに知識が得られるから、
座学や書籍により得られる専門知識は不要であるとの意見もありますが、私としては、疑問です。
その人特有の強みは、その人の個性や興味関心とも結びついた専門知識と不可分のものではないかと思うからです。
例えば、税理士であれば、法人の会計に強い税理士もいれば、相続対策に強い税理士もいますが、
その分野が好きであるからこそ、習得した知識は人格や個性と一体化し、
AIには無い説得力を持つものとなるのではないかと考えるからです。
そして、AI時代には、誰もが正確な知識を素早く容易に得られることが前提となるなかで、
そこで働く個人としては、個別の具体的状況に応じて、知識や経験を咀嚼し、
分かりやすく、誠実で、丁寧で、ときに面白く、そして説得力をもった、
その人特有の持ち味を活かした説明や対応をできる能力、
要するに、人から信頼を得る能力が重要となるのではないかと思います。
高度に科学技術の発達した社会においては、最後に重要となるのは人間的なものであると思います。
2026年05月28日
久しぶりに、村上春樹氏のデビュー作『風の歌を聴け』を再読しました。
私は10代半ばから20代半ば頃にかけて、村上春樹氏の小説を5~6作ほど読みました。
しかし、作中のライフスタイル描写や主人公の語り口などに、今ひとつ馴染めないものを感じ、
いつしか手に取らなくなっていました。
先日、ふと書店の棚を眺めていたところ、『風の歌を聴け』が目に入り、久しぶりに読み直してみることにしました。
すると、自分でも驚いたことに、非常に楽しく読むことができました。
村上春樹氏から受ける印象も10代の頃とはまったく異なるものとなっていました。
今回、私が受けた印象を一言で表すならば、『風の歌を聴け』は、
極めて強いマーケティング意識に基づいて書かれた小説だ、というものです。
例えば、10代の頃には「気取っていて鼻につく」と感じていた文体も、今読み返してみると、
決して村上春樹氏自身にとっての自然なものではなく、既存の純文学との差異を生み出すため、
極めて意識的に作り込まれたものだと感じました。
また、以前は馴染めなかった、おしゃれなバーや音楽、酒、食事などのライフスタイル描写についても、
従来の重苦しい日本的私小説と異なる空気感を打ち出すため、演出的に配置されているものだと感じました。
誤解をおそれずに言えば、若き日の村上春樹氏は、
「このような文体で、このような世界観を描けば、賞の選考者や読者に強い印象を与えることができる。」
「この一作で、必ず世に出る。」という明確な狙いをもって、この作品を書いたのではないかと思います。
そして私は、そのような戦略意識に基づきながら、なお細部まで徹底的に磨き上げ、
高い完成度を持つ小説として成立させた村上春樹氏の小説家としての力量に、強い感嘆を覚えました。
このような観点から、村上春樹氏の他の作品についても、改めて読み直してみたいと思っています。
2026年04月28日
中小企業において事業承継は、企業経営における最重要課題の一つです。
この点は現代に限らず、戦国大名の領国経営においても同様であったといえます。
むしろ、大名同士の競争が極めて激しかった戦国時代においては、承継の巧拙が組織の存亡を左右しました。
例えば、織田信長は、本能寺の変により急死し、その際、嫡男の織田信忠も同時に討たれました。
信長・信忠を失った織田家の後継体制は整わず、信長の政権は、最終的に秀吉が実権を握ることになりました。
その秀吉も、後継問題で大きな誤りを犯しました。
晩年に得た嫡子の秀頼への承継へ執心する余り、後継者に指名していた甥の豊臣秀次を粛清しました。
秀頼を補佐し得た人材を自ら排斥したことにより、政権の不安定化・弱体化を招くことになり、
後の豊臣家滅亡の一因ともなりました。
また、武田信玄は、誰を跡継ぎとするか明確な承継体制を固めないまま病没しました。
後を継いだ勝頼は、家臣から偉大な先代と比較され続ける中で、無理な外征を重ね、
長篠の合戦での大敗を経て、最終的に武田家は滅亡に至ります。
上杉謙信も、後継者を定めないまま急死した結果、養子間で家督争いが発生し、
家中での武力衝突に至ったことにより、上杉氏の国力は大きく低下することとなりました。
これらに対し、事業承継を成功させたのが徳川家康です。
家康は、早期に後継者を徳川秀忠に定め、秀忠が、関ヶ原の合戦において主戦場に遅参するという大失態を犯した後も、
後継者としての位置づけを変えませんでした。
そして、家康は、征夷大将軍就任後わずか2年で将軍位を秀忠に譲り、秀忠の立場を確固たるものにしています。
その結果、当初は周囲から力量に懸念をもたれていた秀忠が、
江戸幕府の体制固めを行うという重要な歴史的役割を果たすに至ったのでした。
私は、徳川家康が、信長や秀吉、信玄や謙信の事業承継の失敗からよく学び、
それを自らの事業承継に活かしたのだと考えています。
中小企業の経営においても、徳川家康の事業承継を見習い、計画的かつ慎重な事業承継を行い、
世代と時代を超えた持続的発展を実現していくことが重要です。
2026年03月24日
「想定外の事態」という言葉があります。
同様のニュアンスの言葉として、「未曾有の危機」「百年に一度」などの表現も用いられます。
近年の日本および海外において、こうした言葉が使われた主な出来事には次のようなものがあります。
・1991年 バブル崩壊
・1995年 阪神・淡路大震災
・1995年 地下鉄サリン事件
・2001年 アメリカ同時多発テロ
・2008年 リーマンショック
・2011年 東日本大震災・福島第一原発事故
・2018年 西日本豪雨災害
・2020年 新型コロナ禍
・2022年 ロシアによるウクライナ侵攻
・2024年 アメリカによる相互関税
これらは、あくまで一部に過ぎず「想定外」などと表現された出来事は他にも数多く存在します。
直近でも、現在進行中のアメリカによるイラン攻撃は、
世界中の多くの人にとって「想定外の事態」であったと言えるでしょう。
このように振り返ると、「想定外の事態」や「百年に一度の危機」は、
実際には、数年おき、あるいは毎年のように繰り返し発生していることが分かります。
こうした事態は、中小企業の経営にも大きな影響を及ぼします。
もちろん、いつ、どこで、何が起こるかを具体的に予測することは困難です。
また、それに備えた事前の準備を行うことも容易ではありません。
しかし、少なくとも、「想定外の事態は常に起こり得る」と想定することは可能です。
この認識と心構えが、不確実な時代における経営の出発点ではないでしょうか。
「想定外の事態」に慌てない経営を日頃から行いたいものです。
2026年02月25日
スティーブ・ジョブズの有名な言葉です。
直訳すれば「飢えていろ。愚かでいろ。」となりますが、非常に味わい深い言葉であり、
日本語に訳すとしたら、幾通りもの訳が成り立ちそうです。
「hungry」には、現状や小さな成功に満足せず、未来や成長への渇望を持ち続ける、
「foolish」には、先入観や固定観念にしばられず、
常識や社会通念にとらわれないなどの意味が込められているのだと思います。
ただ、私は、この言葉のポイントは、動詞が「be」ではなく「stay」である点にあると思います。
「be」だと、単に現在の状態として「そうある」という意味になります。
これに対し、「stay」という動詞を用いることにより、
その状態に意志的・意識的に「留まり続ける」というニュアンスが強調されていると感じます。
人間は、意識していなければ、年齢や経験を重ねるにつれて、初期の渇望感を忘れて小さな成功に満足してしまう。
また、自分は物事が分かっている、何でも知っていると思い込んでしまう。
ジョブズのこの言葉は、こうした人間の傾向を戒め、意志的・意識的に、「hungry」であり、
「foolish」の状態に「留まり続ける」ことを呼びかけているのではないかと考えます。
私も、生涯、hungryでfoolishで居続けたいと思います。

西川 和志
税理士法人 森田経営
代表社員
昭和54年7月19日生
主な資格:税理士、弁護士